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  • 執筆者の写真Bucho

違和感を覚える感情を大切にしたい。



こんにちは、BUCHOです。


10/10(月)は「スポーツの日」ということで、今日から3連休という方もいらっしゃる週末、皆さん、いかがお過ごしでしょうか。弊社はバリバリ営業中です!不動産について、お悩み事等がございましたら、お気軽にご連絡くださいませ。


今年も早いもので10月ですが、来月、サッカーW杯が行われますね。今では当たり前となった日本のW杯出場。日本は、かの有名な「ドーハの悲劇」を経て、1998年に初めてW杯に出場するのですが、個人的な感覚では、当時のようなW杯前の盛り上がりがないなーとなんとなく寂しく感じています。


最近たまたま、目前に迫ったW杯の特集動画をみました。それは、過去のW杯における秀逸なゴールシーンをランキング形式で発表するもので、その動画の1位は、1986年W杯メキシコ大会の準々決勝、対イングランド戦で、アルゼンチンのディエゴ・マラドーナが魅せた「5人抜き」でした。


当時、私は5歳。サッカーにも興味なかったので、リアルタイムでこれを目撃(日本で放送してたかすら微妙)した訳ではありませんが、過去のW杯名場面的な特集では必ずと言っていいほど紹介されるので、このプレー自体は知っています。


結果、アルゼンチンは同大会で2度目の優勝に輝き、大会MVPに選出されるほどの活躍をみせたマラドーナは、アルゼンチンの英雄となります。


私がサッカーに興味をもったのは、先述の日本が初めてW杯に出場した1998年フランス大会からなんですが、背が低くドリブルに長けたアルゼンチン選手は「マラドーナ2世」と呼称されていました。オルテガ、サビオラ、アイマール…。懐かしい…。今もなお現役で活躍し続けるメッシもその一人です。


でも、個人的には、長く活躍するメッシをみていると、今後、同タイプの選手は「メッシ2世」と呼ばれるんじゃないかなーと感じています(もうすでにいますが…)。マラドーナ2世という言葉を何度となく聞いてきただけに、なんとなく違和感…。


話は変わって、史上最年少の22歳で三冠王を獲得したプロ野球ヤクルト・スワローズの村上宗孝。ペナントレースの最終戦の最終打席で、王貞治が保持していた、日本人としては最高記録であるホームラン55号を超える56号を放つというドラマティックな展開には、痺れました…。


この「シーズン55本」という記録は、1964年に記録されて以来、誰も破ることができなかった数字です。思い返せば、松井秀喜が背負った背番号「55」。その背番号になった理由は様々あるにせよ、この「シーズン55本」を超えるようにという願いも込められていると言われています。松井秀喜の活躍によって、55=長距離砲というイメージが定着し、ホームランバッターが背負うことが多くなりました。村上もそのうちの一人です。


これまで、日本人野手が到達することができなかったシーズン55号を超えた訳ですから、今後は「55」という、ある意味呪縛と化した長距離砲の背番号も「56」が選ばれる時代が来るかもしれませんね。長距離砲=55というイメージがあるだけに前述のメッシ2世同様、なんとなく違和感を覚えます…。


大変、前振りが長くなりましたが、ここからが今日のblogの本題。そもそも「違和感」とは何なんだろうと思い、広辞苑でその定義を調べると、①周りのものと調和がとれていないという感じ。②しっくりしない感じ。③ちぐなぐな感じ。とされています。メッシ2世と長距離砲=56というのは②の表現が近いですね。


最近、私は、この「違和感」を抱くことを大切にしたいと考えるようになりました。それは、仕事においてもプライベートにおいても、です。


たとえば、


● 今日、□□くんは顔色が悪いなー

● このお客さん、いつもと感じが違うなー

● (普段寡黙なのに) 今日はよくしゃべるなー


など、対人での違和感。三つを例として挙げましたが、このように感じるのは、そもそもその人のことを「知っている」から。違和感って、元のイメージや姿を知っているから、そのイメージや姿と違うときに感じるものですよね。逆に言えば、顔見知りの関係であっても、その人に興味がなかったり、コミュニケーションが不足していたりすると、普段のイメージや姿というものが構築されていないので、違和感=変化に気付くことはない。


● いつもと味が違う気がする…

● 盛り付け方が雑になった気がする…

● ん?こんなに美味しかったっけ?


これは、食に関する感覚のたとえ。いつもと味が違う気が…、盛り付けが雑な気が…、え?こんなに美味しかった?というような感覚も、元々好きだった味だったり、味覚のみならず、視覚的にもその料理を楽しんでいたり、という前提があるから違和感を覚えるんですよね。


これまた、裏を返せば、味の変化に気付かないのは、ただ食べていただけ、ということ。盛り付けの変化に気付かないのは、きれいに盛り付けるなーとか食材の彩りが素晴らしいなーとか、目で料理を楽しむ気がまったくない、ということですよね。


ん?こんなに美味しかったっけ?


たとえば、スーパーの前とかによくある軽ワゴンで焼き鳥を売っているお店で、毎日、焼き鳥を買っていたとします。100日買い続けたその後、101日目に、高級焼き鳥店で提供されているような高級焼き鳥が、軽ワゴンで、普段となんら変わらない状態で出されていて、それを買って、普段どおり食べたとします。


そのときに、「ん?こんなに美味しかったっけ?」と違和感を覚える自信、ありますか?笑 味オンチの私は、残念ながら、たぶん気付かないと思う…。


それこそ、逆も然りでこっちの方が難問。普段よく行っている大衆的な焼き鳥店で出されている焼き鳥串が、初めて訪れたコースで2万も3万もする高級焼き鳥店で出されたとします。それが、普段食べている焼き鳥の味だと気付く自信、ありますか?


これまた、私はたぶん気付かない…。おそらく、2万も3万もするようなお店であれば、店内の雰囲気や内装が素晴らしかったり、カトラリーや器、グラスも立派なものが使われていたり、店主(料理人)がオーラをまとっていたり、ストレスのないオペレーションだったり…、極めつけは、美味しいという評判に、まんまと騙される自信があります!笑


まだまだ言いたいことはたくさんあるんですけど、長くなるので、そろそろ締めますね。


私は、そういういわゆる「違和感」を覚える人間でありたい。


上述の二例で、まず料理や味の面で言えば、「本物」に数多く触れ「本質」を知ることが肝要。私は料理が好きで、ほぼ毎日何か作っていますが、味も盛り付けも、満足するものを作ったことがほとんどありません。特に盛り付けはセンスなし!笑


だから、巷で評判の飲食店を訪れた際、うわー、なんでこんなに美味しいんだ!とか、この盛り付け方、すげー!とか、よく感じます。それは、自分にはできないからこそ抱く感覚。そうやって「本物」に触れることで、自分で料理をするときにもその盛り付けに触れた経験が活き、より良いものができるはず。


対人関係においては、やはり、人の些細な変化を感じとれる人でありたい。体調の良し悪しとか、寡黙な人が良くしゃべるとかっていう浅いところではなく、もっと深いところで。営業という職種柄で言えば、売主さんでも買主さんでも、不動産会社に対して何を求めているか、何を期待しているかを、行間で感じ取る。


家族・親族や友人、職場の同僚のような、いわゆる仲間に対しては、せっかく何かの縁があって仲良くなったり、一緒に仕事をしていたりする訳だから、その縁は一生大切にしたい。そのためには、その人に対して興味をもつ、普段からコミュニケーションを取る必要があります。悪い意味で違和感を覚えたら、フォローする(助ける、怒る)、いい意味なら褒める。


また、そうやって、人に興味を持てば、マネしたいいいところ、マネしたくない悪いところも見えてきます。昔から、私の座右の銘は「人のいいところだけを模倣できれば最強」。人のいいところだけをマネして、悪いところは反面教師。これができれば、かっこいい大人になれる気がしませんか?


私はこれまで、対人で苦労したことはほとんどなく、人という環境に恵まれてきました。手前味噌ながら、弊社の社長や副社長、他のスタッフもそう。前職もそう。そんな恵まれた環境のなかに、仕事上でも人格上でも、こんなふうになりたい!と思った先輩が何人かいます。40代になった今、今度は自分がそういう立ち位置にならないといけないなと思う今日この頃…。まだまだ、「違いのわかる40代」には程遠いですが、理想は掲げないと理想の自分には一生慣れないので、日々邁進したいと思います。


ではまた。


PS. このblog、いつもと違う箇所があるんですが、その違和感に気付きました?笑



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