top of page
  • 執筆者の写真Bucho

チームにおける私の役割



こんにちは、bucho です。


お気づきになられた方も多いかと思いますが、このたび、当 blog で使用していた画像(サムネイル等)を変更いたしました。


QRコードにつきましては、上の黄色いものが Instagram。私のプライベートを発信しています。ここをみれば、私の人となりが少しはお分かりになるかと思います 笑 下のピンクのものは Twitter です。こちらは、この blog のような仕事上の本音だったり、私の考え方などを投稿しています。ご興味がおありでしたら、いずれもご覧ください。x


今年4月よりスタートしたこの blog も、気づけば今回でvol.74。これからも、本音を言える場として継続してまいりたいと思っておりますので、引き続き、宜しくお願いいたします。


話は変わりますが、今、世界陸上が行われていますね。やはり、今回もMCは織田裕二。この季節に負けじと熱いですね、ほんと(今回でMC卒業と発言しているようですが…)。


そして、世界陸上史上、男子100mで日本勢で初めて決勝に進出したサニブラウン。すごいですね。ちょうどこの記事を書いているときに決勝が行われていて、残念ながら7位。でも、決勝の舞台に立てていること自体、めちゃくちゃすごいことですよね。


私は学生時代、バレーボールをやっていました。バレーボールはご存じのとおり、団体種目。今、開催中の世界陸上やオリンピックをみていて、団体種目ではなくて、個人種目もやってみたかったなと思ったことがありましたが、私には多分無理…。


個人種目は、端的に言えば【やるかやらないかは自己責任】。練習に練習を重ねて、自己ベストが出ればうれしいのだろうけど、その反面、サボろうと思えばいくらでもサボれる、妥協しようと思えばいくらでも妥協できる…。自分を律することができない私は、たぶん後者に分類されるため、厳しいでしょうねー 汗



話は少し戻って、バレーボール。中学、高校とやっていました。


中学時代の最高成績は四国2位。当時、私立の高校と、公立の工業高校からお誘いがあったのですが、この身長で一生バレーなんてやれないと思った私は、一般入試で普通科のある公立高校に入学しました。その学校のバレー部は弱小チーム。入部するつもりもありませんでしたが、たまたま、中学時代に他校でそこそこ強かった学校のキャプテンが同じ高校に進学していて、バレー部に入るというので、一緒に入りました。


弱小チーム故、1年生からスタメンで出させていただき、自分たちの代になったときはキャプテンもさせていただきました。そして、わずか2年前まで、弱小チームだった我が校も、私たちの代には県大会ベスト16まで進出できました(新人戦は第2シードという快挙)。


そして弱小チーム故、顧問の先生の部活にかける熱量はそれほど高くなかったため(他校との練習試合をうちの顧問がすっぽかし、相手側の顧問の先生に私が怒られたこともありました…)、すべての練習を自分たちで決めていました。ときには、強い他校の顧問の先生に、教えを乞いながらも、自分たちでやっていました。


私はどちらかと言えば、仕事でもなんでも、個人で戦うよりも、チームで戦いたい派です。その感覚は、このときの経験によるものだと考えています(高校3年生のときには、体育祭のリーダーもさせてもらったので、それもあるかもしれません)。


チームとして戦う楽しさを感じたのが18歳。


私は今、41歳なので、23年振りにまた、メイヴスという【チーム】で戦う機会をいただきました。この機会をいただきました弊社の社長、副社長には、この場を借りて、感謝申しあげます(この場だけでなく、いつも思ってますよ 汗)。


このチームには、優秀なスタッフが揃っています。元々同じ釜の飯を食った仲なので、気心も知れています。そういう面では、率いる立場からすると、最高の環境ですね。


羅針盤のように、進むべき方角を皆に示して、船の上から餌をまくことが、メインとなる私の仕事です。餌の撒き方や餌の種類、場所を間違わなければ、あとは、優秀なスタッフがどうにかしてくれるでしょう。


もう一つは、こんな優秀なスタッフが揃っているチームがあるということを、たくさんの人に知ってもらうことも、私の大切な仕事の一つです。単純に、いいものがあったら、他人に教えてあげたい性格なんです、私は。


最後に、情熱。これを失ったら終わり。火を消させないことも私の仕事です。


さて、案の定、長文となってしまいましたが、今日も、高校時代の自分に負けないように、日々、精進してまいります。ではまた。



bottom of page